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恐山
2026-02-24 19:15:23
恐山@d_d_osorezan
私の死生観について。多分重いし暗い。こんな話ばかりですみません。
私の死生観について
私の死生観を話すに於いて、まず言いたい。死は皆平等に与えられているものです。人間の上下関係がどうだとか、貧困がどうだとか富豪がどうだとか、それは「今の話」であって死んだら結局は何も無くなります。死後に評価される事があったとしても、もう既に死んでいるのだからその人には関係が無い。本来ならば生きている時に評価されるべき。死んだ後に評価されても意味が無いんです。なぜなら死んでいるから。「死後に評価されるなんて!」と崇高な存在みたいに持て囃される事もあるだろうけど、きっとその人は生きている間に評価を得たかったと思う。生きているからこそ出来る事をやっていたのに、それを死後に評価されるなんてあんまりじゃないですか。
「死は救済」と言うけれど、私は割とそっち寄りの考えです。だからと言って今死にたいとかそんな訳では無い。というかそんな簡単に救済されると思うなよ、と思っている。死は平等に与えられているものだけど、救済は簡単に与えられるものでは無いから。この時点で「恐山は思想が強い」と言われがち。うるさいっ。
今生きているという事はすなわちいずれ死ぬという事なんです。至極当たり前の事。だけど私にとってそれが一番大事なんです。死んだら何も無くなるから、後悔しないように生きていきたい。後悔しながら息絶えたくない。私が見る走馬灯はきっと面白くないだろうけど、それでも「この時こうしていたら」と走馬灯に対して思いたくない。私は死を念頭に置いて生きている。終わりの事ばかり考えて生きているのも多分これの所為。死は全ての終わりだから。だからこそいつ死んでもいいように、毎日をどうにかこうにかして上手く生きていきたいんです。気分が落ちていて何も出来なかった日はとても後悔する。それが嫌だから少しでも抗って家事などに手をつけて「何もしなかった日」をなるべく作らないようにしている。家事すら出来ない時は映画を観てインプットを試みています。今日はなにかしらをインプットしたぞ!という気持ちになれるから、割と良い。まあ映画すら観れない時もあるんですけど。その場合はもう駄目です、その日は終わりの日。
この文章を書きながら死生観ってこんなものだっけ?と思っています。私個人の意見なので、皆さんがどうとかは全然気にしないし私の死生観を押し付ける事はしない。他者の死生観を聞くのは好きだから、なんか誰か死生観について語ってくれないかな。そんな感じ。
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