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恐山
2026-02-22 21:48:10
恐山@d_d_osorezan
幸せとは、について考える日。
常日頃から考えている事のひとつである。お金があっても愛されていないと幸せじゃない・幸せな人、愛されていてもお金がないから幸せじゃない・幸せな人。幸せの定義とは人それぞれであって、お金があるから幸せ、愛されているから幸せとは限らない。
恋人が居なくても友達が居るから良いって人も居れば、恋人も欲しいし友達も欲しいって人も居る。前者はあまり求めすぎていないけど、後者は求めすぎている気がする。これは個人的な意見でしか無いけれど。
例えば仮にAとした人物が居て、その人が幸せだと感じるのは「恋人に愛されている時」だとする。けれどBという人物は「恋人に愛されているか分からない」と言う。恋人という関係性だけでも幸せかそうじゃないかはひとつに限らない。稀有な人間は「恋人に殴られているけどそれも幸せ」と感じるだろう。
幸せは目に見えない物です。目に見えないからこそ、相手が幸せかどうかの判別がつかない。これで可視化されたら、世界は少しだけ良くなる反面、人間関係などで悪化するかもしれない。幸せ制度、というものが出来るかもしれない。一定数を下回っている場合、幸せになれるように市や国が施しを与えるかもしれない。しかしその一方で「自分と居るのに幸せじゃないんだ」と、相手の幸せが見えてしまう所為で揉め事の原因になり得る。揉め事が起きたら、その人はまた幸せじゃなくなる。悪循環だ。つまり幸せは可視化されない方が良い。
けれど見えないからこそ起きるすれ違いもある。例え幸せじゃなくても「私はあなたと居られて幸せです」と嘘をつける事になる。それを言われた相手は幸せになるだろう。然しそれを言った本人は別に幸せではないのだから、いずれ歪みが生まれて後々面倒な事になるだろう。
幸せ、という感情は説明がつかない。そんな事で幸せだと感じるのか、と吃驚する事もあれば、どうしてこんなに尽くしているのに幸せだと感じてくれないのか、と憤る事もあるだろう。幸せだと感じる事象は人それぞれなのだから、自分が幸せだと感じる事が相手も幸せと感じるとも限らない。
そもそも幸せとはなんなんだろうか。調べた所、ドーパミンやセロトニン、オキシトシン、エンドルフィンなどの神経伝達物質の組み合わせだと言われている。つまり脳がそう言っている訳だ。なんだかそれって元々組み込まれていたプログラムみたいで怖い。幸せと感じた時の脳の仕組みは一つの説明が出来るのに、幸せという事象について説明して貰った時の内容は千差万別だろう。
つまり考えた所で意味が無いのだ。それでも幸せとは、について考える事はやめられない。大抵、私がこんな事を考えている時は気分が落ちている時。つまり今の私は幸せじゃないという事。そういう事です。
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