砂漠に限らず目印のない道を歩く時、人は大きな円を描いて元の場所に戻ってしまうらしい。これは利き足や体の歪みのせいらしく、真っ直ぐ歩いているつもりでも少しずつズレて、気付かぬうちに同じ場所を巡ることになるとか。そんな話を聞いたのはずっとずっと前で、突然思い出したから調べてみたらリングワンダリングという名前がついていることを知った。日本語だと輪形彷徨というらしい。そのまんまじゃねぇか。
ひとは導なしには真っ直ぐ歩くことすら叶わない。かく言う俺も暗い部屋で壁に腕をぶつけたから思い出したわけだけど、必ずしもこれは物理的なものだけでは無いように思える。あくまで俺個人の話ではあるけど、自由にしろ、と言われれば言われるほど凝り固まった思考が更に動きを鈍くする。自由ってなんだ。何を求められているのか分からない。そもそも何も求められていないのかもしれないけど、投げられた自由はそれすら判断がつかない。だからある程度の方向性を示してくれる方が助かってしまう。多分これは思考の放棄でもある。自分で生み出すことを諦めているんだから。
でも何かしら目標がある方がやる気が出るもんじゃないのか?例えば強い敵を倒したいだとか、図鑑を完璧に埋めたいだとか。ひとつ目標を設定してそこへ進むのが一番楽しいだろ。それが窮屈に思えるひともいるんだろうけど、俺には無理だ。
ありがたいことに、この世の中には選択肢がありふれていて、足掛かりになってくれるものがたくさんある。自由に決められる。でもその自由の中には決められた道があって、その道を進むことになる。それを自由と呼べるかは知らねぇけど、自分で決めた道なら自由なんじゃないかと思う。辿り着きたいゴールへの道のりを教えてくれる先人たちに頭が上がらない。
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数日前の俺がこんな文を残していたんだけど、結局何が言いたいのか分からん。それなりの量を書いていて破り捨てるには惜しいから置いておくことにする。
ひとつテーマを決めて書き始めて、たどり着きたい終着点があるはずなのにいつも脱線に脱線を重ねて別の話になってしまうのは一重に俺の実力不足なわけだ。自分の気持ちが分からないと言う友人についてを蘭たんに相談したことがあるんだけど、ああいう人種は言語化しないでいることを気持ち悪いと思わないのか、って議論に発展した。俺と蘭たんは結構言葉に表さないと気持ち悪いと感じる質で、自分の気持ちを適切な何かに表そうと足掻いていることが多い。残念なことに、正しく表せてることなんか少ねぇんだけど。連想ゲームみたいに脱線して、言いたいことをこねくり回して、なんとか何かの形にはめようとするのはいい事なんだろうか、と思う事もある。でもそうしないと自分のことを信用出来なくなるし、理解も遠のいてしまうし。何より聞こうと努力してくれる人達を疎かにしているようで、申し訳なくなってしまうから。俺はこれからも自己満足のために自分の気持ちを書きなぐるしかないんだろう。